30th Anniversary
MACHIII OWNER'S MEEING in AKASHI

 

カワサキマッハIII生誕30周年記念

技術者懇談会

カワサキ(司会 小林)
よくご存じの方も来られてますし、前回もお見えになったとき、たしか3年前でしたかね。お会いしてる方もだいぶいらっしゃると思うんですけども、自己紹介といきましょうか。

清原
カワサキのオートバイ屋のおじさんです。神戸でオートバイ屋をやってます清原です。よろしくお願いします。

パチパチパチパチパチ

カワサキ(技術 北尾)
北尾次郎と申します。今は設計をやっています。実はですね、かつて2サイクルエンジンの設計をしていまして入社して7〜8年やってたんですけど、いろんなところに飛ばされまして今は4輪バギー車の設計開発を担当しています。
マッハの言葉を聞きまして、入社した当時をむらむらと思いだしました。ちょうど私が入ってその時のの上司が2サイクルの神様やと言われとった人だったんで、非常に懐かしく思い出すとともに嬉しく思います。よろしくお願いします。

パチパチパチパチパチ

カワサキ(技術 黒川)
黒川と申します。今はですねZ1100と・・・関係の車体を担当しています。マッハスリーはですね、清さんと私が同じ歳なんですよ、若く見えますけど。入社してですねH1改ですね、最初のやつは私あまりやってないんですけどもH1改ということで燃料タンクの形状が長くなったものなんですけども、その機種を初めて正式に担当さしていただいたという思い出ですね。今日来られた皆さんを見てもっと年配の方だと思っていたんですけども若い方なんで私も、もーすこし若さを保ってがんばっていきたいと思います。
よろしくお願いします。

パチパチパチパチパチ

カワサキ(司会 小林)
どうもありがとうございます。清さんと黒川さんでどっちが若いか後でもめて下さい。座ったままで皆さんお願いします。そしたら、ご質問とかいろいろありますか。
あるいは、最初に清さんあたりに開発の思い出話とかを先にやって頂いてからの方がいいですか。
そしたら、生誕30周年ということなんで、そのころの思いを手繰り寄せて頂いて清原さんに高速道路テストされた話などを・・・
名神がまだ砂利道のころってあったんですかね?

清原
そうですね。僕もあんまり記憶力がよくないんで、30年前いうたら僕が23歳ですからね。もー行け行けのときやったから、まずはやっぱりマッハの思い出ゆうたらH2のね、H2の鈴鹿のレースですね。そのレースでファクトリーのマシンとね、750CCクラスで優勝できた、これがノーマルでね。これが一番思い出ありますね。
いつもね、こういう座談会があったときに言うてるんですけども、H1のほんとの試作のときに、昔第二神名も阪神高速も無いときにね、西宮まで車に載せていって3気筒のマフラーを3本出てると判らないようにブリキでカバーしてね1本の方を大きくカバーしてパッと見たら2気筒やと思うようにして走った記憶ありますね。

名神の西宮から入ってすぐカブってしまったんですよ。ぜんぜん走らなくなっておかしいなと思ったら、排気の出口の所までブリキがきてたもんで抜けが悪くなってカブってしまった。これはあかんなということで、それを外してテストを続行したという記憶がありますね。

ま、僕の場合はね、そういうメカニズムや商品企画やアイデアは判らないですけども、ただテストコースなんかではね、そこの(川重内の)テストコースね、昔はね今のコースじゃなくてもうひとつ南側にあって、一応ストレートは800くらいあったんかな、そこの3建の事務所のとこから助走をつけてストレートが800あって、いちばん西のとこにね80Km/hくらいで走れるループがついてるんですよ。だから今みたいに行ってUターンしてじゃなくて、ループがついて一周できたんです。

そういう所で、特に川崎重工は限界設計に対し商売へたやから、とにかく壊れるもんやという感じでね、その当時から400回の急加減速テストゆうのがありましたね。今でもやっているらしいですけども。その400回ね、スタートして全開までいって全開からローまで減速してそれをね400回やるんです。400で壊れなかったら量産OKやとそういうテストがあるんです。

そのときに、あほみたいに毎日100回、200回毎日やってますからね、おもしろないでしょ、こんなとこで走っとってもね、せやからいつもウィリーしてね、行きも帰りもウィリーしてね、1日200回、300回くらいしましたからね、めっちゃめちゃ上手になりましてね、モトクロスのA級ライダーより上手になりましたからね。みんなびっくりしましたからね、そういう自慢話があるんですけどね。

それはまあまあ楽しい思い出なんですけどね、悪い思い出はやっぱり、よく焼き付きましたね。焼き付いて、焼き付いて、3気筒やからね、そんなに焼き付いても、わりとショックは少ないんで、以外とまあ一つが焼き付いても後の二つが回してしまって、ショックが少ないんで転倒とかそういうものは無かったですけどね。まあ、ほんまによう焼き付いてね、今から考えればね、あのとき焼き付くゆうたらね、キャブを濃ゆくする、オイル吐出量を多くする、あとシリンダのクリアランスを上げる、この3つだったんです。あまり技術的なことはわからへんのやけども、今から考えてみたらね、レベル低くかってんなぁって思てね、今なんか2サイクル焼けませんからね、焼けてもほんまに・・・特にねホンダのRS125の市販レーサー見とったらね、NSメッキゆうてね、シリンダー中やってるんですけどね、あれなんかね、みんなに聞いたら、焼き付きがまったく感じられない、走っててね、ちょっとその向い風なんかなってね、エンジンがちょっとおかしいなぁと思て帰ってきてプラグ見たら、アルミの粉が着いとった。安全なんやね。

当時では無理な話やけども、あほのひとつおぼえやないけれど、クリアランスとオイル吐出量とキャブレーションですね、これだけでやってましたからね、もっと電装関係とか、シリンダのタイミングだとかね、そういうのよう考えてね、つっこんで真剣にやっておれば、もっともっといいマシンができたん違うかなと今になって思います。

パチパチパチパチ・・・

カワサキ(司会 小林)
ありがとうございます。

今も、オーナーズクラブの中で一台、たしか横浜辺で止まっとられるんじゃないかという、トラブルなのか何なのか判りませんが、心配をしております。
3時くらいにはこっちへ来られるような予定ということで、ちょっとあの私も今、清さんの話を聞いてだいじょうぶかなと心配をしておったんですけども、何か関連でご質問とかありましたら・・・。

参加者
クリアランスをたくさんとったからですね、アクセルを開けて戻したとき、ジャンジャンジャンジャン言うのはクリアランスのせいなんですか。

清原
ぼくは運転手なんで技術者の人に答えてもらいます。

カワサキ(技術 北尾)
それではお答えします。一般的にはおっしゃるとおりで、やっぱり音はピストンのスラップ音ですかね、それが大きいですね。それと、ちょっと付け加えますと、今清原さんが、いろいろご説明されましたけれど、ちょうど私が入社したのが72年でしてね、H1,H2が市場に出て何年か経ってたと思んですけど、当時ですね、それに続けてS1とかS2とかいう車もありましてね、私はそっちの方を担当したことはあるんですけど、そのときに今言われたね、オイルとキャブとクリアランスとピストンプロフィールというのがちょっとあるんですけど、とにかくその部品を持って、よう谷田部へ行ったの今思い出しましたね。それで何回も何回もライダーの人と焼き付きテスト、特に、ズーっと引っぱって、ひょっと絞ったときですよね、このときに焼き付きが特に熱的に厳しなって、焼き付きをおこしよったんですけど、その対策ピストンとか、クリアランス広げるための対策シリンダとかね、前もって持って行ってですね、それと3気筒やから、結構ピストンとか替えにくいんですよね、それを早よ替え、早よ替えってライダーから怒られましてね、ばたばたとやってました。

カワサキ(司会 小林)
よろしいですか。

参加者
クリアランスをもっと狭くしてオーバーサイズ入れて音が静かになって、焼き付くか不安なんですね、あれ。3速、4速はさほどじゃないんですけど、トップで走ったとき特にひどいんですね。壊れないもんですかね。

カワサキ(司会 小林)
ぜったい壊れないと思います。

カワサキ(技術 北尾)
カワサキの当時の伝統的な音だったものですから、今のレベルで何やということやと思うんですけど、壊れることはぜったいにないと思います。

カワサキ(司会 小林)
実は、音が出だした方が調子がいい、というのは当時からの定評でありまして、今の技術ではそうではないんですけど・・・。

参加者
ただ、今日乗って来た人達はえらい音がいいんですよね。ああいう音だったら、乗って楽しいなって、いつ壊れるか判んない・・・これでいいんだって人は言うですけど、今一不安なんです。

カワサキ(司会 小林)
オイル潤滑もクリアランスが大きい方がいいんで、大丈夫だと思います。
黒川さん、何か(H1)改のほうの苦労話とか聞かせてもらえますか。

カワサキ(技術 黒川)
そうですね、ここに来る前に車体を担当していた人がいるんですけれども、その人がメグロから来られてW,A1,H1,Z1を担当されたんですけれども、この車(H1)の開発ポリシーというのが、まず、ウィリーしやすいと、というのはA1というのは非常にウィリーしにくい、ま、パワーもあるんですけども、それから、ゼロヨンが速い、当時、トライアンフ2気筒3気筒なんでけど、これがゼロヨンがメチャ速い、それを打倒しようとというのが一つ、それから、GT550ですね、競合機種であったと思うんですけども、そのへんをかなり参考にして開発したと聞いてます。

とくに、ウィリーしやすいために、どういう手法をとったかというと、今のレベルで考えると危険であるという問題があったと思うんですけども、当時の風潮としては誰かが乗ってフィーリングを感じるという開発ポリシーやったですね。それで、たまたま、2気筒、3気筒というのがいちばん最初に出たらしいんです。で3気筒にした理由は、ま4気筒話は無かったです、当時は開発スタッフは2気筒3気筒で、ま3気筒の性能を狙ってました。その中での冷却ということで、昔、阪大のほうで風洞試験をかなりやったみたいですね。エンジンの冷却の話でですね、当時はA1なんか、ダストボックスが付いているんですけども、それが無い方がいいですよとか、それからフロントフェンダーとシリンダーがかなり離れている方がいいですよとか、ということで結果的にはピボットからフロントアクスルまでの距離が長くなりましたよと、ということはホイールベースが長くなったよと。後輪部分の荷重が多くなった、パワーとディメンジョン関係がかなり・・・というのが実態みたいですね。

トライアンフと比べてもかなりいいなという評価だった。で、タイヤもその時にはフロント19インチ、18がA1やったと思うんですけども、大型の車に仕上げるということで、当初は前後とも19インチ、最終的にはリアが18インチに納まっていたと思うんですけども、最初は19インチで進めたんですね。

ですから、開発ポリシーは大柄な車で、ウィリーしやすくて、ゼロヨンが速い。その3点が当時としては出した時点でははかなり好評だったと聞いています。

最初の紹介の時、燃料タンクの話をしたと思うんですけども、新規性を出そうということで、最初のモデルに関しては、KMC経由で、モーターボート関係でデザインしたと聞いています。ですから、タンクの形状はニーグリップしにくい、どちらかといえばモーターボートイメージの燃料タンクです。

そういうのが最初のモデルで、その部分改善としてニーグリップしやすい形状ですね、デザインを変更しました。これはもちろん、カワサキの中でやっています。それから、もうひとつウィリーしやすい反面エンジンのパワーがかなり上がりすぎているということで、H1改ではスイングアームをかなり延ばしましてですね、操安性、安定性を向上させた記憶があります。

参加者(斎藤)
黒川さん、H1改というのはどのモデルを言われているんでしょうか。

カワサキ(技術 黒川)
タンクの形状が変わるときですね。

参加者(斎藤)
KH500まで続くあの細長いタンクですか。
H1D以降のことですね。

カワサキ(司会 小林)
当時、世界最速を目指しましたんで、カワサキも・・・タイヤもナイロンコート入りのタイヤということで、ま、今回のニンジャZX05Rなんかもそうですけどね、最高速とタイヤはおっかけっこみたいなことがあります。

質問、ありましたらお願いします。

参加者
いま、お話しのあったH1改の燃料タンクについてなんですけども、東京近辺で通常、俗にいうH1Dがグリーンのタンクが付いていますよね。販売時には赤いタンクもあったとかいうお話しを別のルートで聞いたことがあるんですけども、試作時には何色かカラーリングパターンを検討して、カタログではライムグリーンですけども、サブカラー的な要素をもった色違いをラインに流したってことがあるんでしょうか。

カワサキ(技術 黒川)
ライムグリーンのタンクは記憶にあるんですけども、サブカラーの記憶は無いですね。

参加者(松谷)
清原さんにお聞きしたいんですけども、テストライダーからレースに出るようになったきっかけと、横縞のTシャツのエピソードを聞かせてください。

清原
それに関しましてはね、レースに出るきっかけは当時はあんまり丸秘、マルヒゆうてなかったんで、ある時期がきたらね、結構ね、鈴鹿サーキットとかね、筑波サーキットとか行ったんですよ。そのときに、ファクトリーの和田選手とか、皆が走ってましたんでね、(私は)いつもノーマルでタイムがいいんですよ。
今チームグリーンの監督している野村君が当時テストライダーやってたもんで、
「清さんモトクロスも早いけどもロードレースもめちゃ速いで、出えへんか。」
「せやなぁ、モトクロス汚いし、しんどいから、ロードレースに変わろか。」
という、しょうもない、単純な・・・
「ほんまや、こっちの方がきれいやし、かっこええわ。」
言うて、ロードレースに変わったです。

で、Tシャツはね、昔はアサマのテストコースね、北軽井沢ですかね、年に一回夏場だけテストに行ったんです。その時に、天皇陛下と皇后陛下のロマンスのテニスコートを仕事をさぼって、というか一応テストという名目で(見学に)行ったんですよ。行ったらね、バーゲンやってましてね、当時はカラーツナギはほとんど無かったもんでね、レースに出るのにTシャツを1500円ほどで買うたんかな。なんでも単純な発想で。

それとね、黒川先生が車体設計の件でいろいろ説明してましたけどね、ひとつだけね凄いことがあったんですよ。谷田部のテストで、サイクルワールド社が試乗取材に来てたんですよ。そのときに、ぼくが小さかったんでね、ノミみたいなもんやからね、速かったんですよ。ゼロヨンも最高速もね。そんなんでね、サイクルワールド社が来ているときに、208Km/h出たんですよ。実測でね。H1の方ですよ。メインスタンドの前に光電管が置いてあるんですけどね、そこでね完全に横になってね、光電管過ぎたとこで横になって、で、ま、もちなおしたんですけども、めちゃくちゃ背中とお尻が痛かったンです。タイヤのトレッドが剥がれてしまって、ぼくの背中を叩いてたんですよ。リヤのフェンダーが曲がってしまってね、バースト寸前の状態をテクニックで・・・、運が良かっただけですけど。

そのときに、たしかK77(K70)ていうタイヤやったかな。それがね、もうあかんということで、あのときZ1は出来てなかったんやね、Z1の構想もあったからね、K87になったんです。

黒ちゃんにコンセプト聞いて驚きましたわ。なんぼ、ぼくでもね、ウィリーしやすいコンセプト今やったらPL問題ですからね。すごい良き時代やったんやなって思いますね。
なるほどね、考えたら、それに合わして作ったいうてね、ほんまにウィリーしやすかったからね、黒ちゃんの設計がバッチリやったってことですね。
優秀な設計者です。

パチパチパチパチ・・・

カワサキ(司会 小林)
ほかにございませんでしょうか。

参加者
鹿児島から来ました田之上といいます。前回も息子と来させて頂きまして、その時息子16で、私がマッハに乗ってたせいか、16の時に学校に内緒で免許を取らせまして、それ以来ずーっとマッハに乗り続けて、今ではマッハの病気みたいになりまして、東京の方で就職しまして、マッハばっかりで・・・、

前回、部品は作って頂けますかって質問に対して、無理です、現行車に乗って下さい、って言われたんですが、それでもマッハに乗ってるんですけども、カワサキの看板を背負って走ってるようなもんです。今、開発なさっている方々がどういう気持ちで私達を見ていられるのか、それを聞かせて頂きたい。

カワサキ(技術 黒川)
私なんか、こういう古い車を愛してもらえるって私にとっても有難いし、そういう面からですね、言われるとおり、カワサキが出来なかったら、他のカワサキ以外と提携してどっかで作るとかですね、そういうものは確かに、今売っぱなし、30年前の車やからいいやなんて、私自身もね、設計者の立場から言わせて頂きますとカワサキの看板背負ってですね、PRして頂いている面もありますし、そういう面では必要かと思うんですけどもね。設計者の立場としてはそう思っているんですけども、そのへん小林さんの方で調整して頂いたらどうかなと。必要だと思います。それはね。

カワサキ(技術 北尾)
私は、・・・エンジンを7-8年やりまして、3輪バギー車をちょっとやって、それからアメリカにもちょっと飛ばされて、それから帰ってきて・・・もちょっとかじりまして、ずーっと設計一筋でほとんどきてる。これを支えているのがカワサキブランドであり、名前ですから、さきほど言われたようにね、カワサキをどのようにして、だいじに長く尊重して盛り上げなきゃいかん、そういう気持ちはすごくあります。

部品の供給につきましてはね、少なくともこういう場に参加させて頂いてね、そういう声を聞きましたんでね、我々も機会がありましたらね、関係部門に伝えておきたいと思います。

清原
ぼくはね、その3年前のね、例の商品企画の伊藤君にね提案しましたわね、そしたら、一生懸命、伊藤君もなんかやってくれたみたいで、小林部長がKHIと調整してくれたみたいなんですけどね、結論的にはね、要するに作ったらテストせないかんと、テスト俺やったるよね、なんぼでもね、金くれ言わへんのにね、そういう問題があったみたいです。もうちょっと皆さんが、しつこく、ねばりづよく、プッシュすることだと思いますね。小林部長は一生懸命やってくれたと思いますね、わりと設計の人いうのはね、井の中の蛙やし固い人多いからね、あんまり、ややこしいことやめやいう感じやね。そのへんは、北尾先生も、黒川先生も、チャンスのあるときにはお願いします。

参加者
よろしくお願いしときます。

カワサキ(司会 小林)
さっき、古い車でと言われましたけど、ブランドイメージをいちばん高めたマッハです。第一世代になると思うんですけど、A1とかもあります。A1のオーナーズクラブもまだあるんです。群馬とかいろんなところからお見えになりますんでね。ブランドイメージを作ったというマッハの方が強烈やったと思うんでね、今のカワサキがあるのもやっぱりマッハとかそういうものがあったからだと思うんでね、ぜひ末長く、どれくらい末長くいけるかは別にしてお願いしたいと思います。

参加者
小さいとき、キカイダーという番組を見てたんですけど、あれでH1が出ていたんですけど、その秘話があれば教えてください。

カワサキ(司会 小林)
これはね、当時モーターショーに出すために作った車なんです。当時、目玉が無かったんで、ま、そういうふうなものを作ろうというふうに聞いてます。今もプラモデルで出たりはしているんです。また、最近、人気が非常に出てきておるんですけども、キカイダーそのものの名前は東映さんなんで、マッハのサイドマシーンというふうに呼んでおるんです。その後ですね、その東映さんの映画に使いたいということで、東京の方の販売店の息子さんが、東映関連の仕事をされてましてね、このサイドマシーンを使わせてほしいと、ということで持って行かれて、そういう形になったというふうに聞いております。でその後のマシーンは今はどこに行ったか、工場の中にもありません。ちょっと判からないですけども。金沢辺に存在しているではないかという噂だけ聞いている状態なんですけど。今のところはそれくらいしか情報しては無いんですけども。

よろしいですか。

参加者(斎藤)
今日、集まったのは、H1の500だけなんです。松谷隆いわく、「マッハは500、500がマッハや」ということで、ここに居る連中は集まってます。しかしやっぱり、上の機種にH2というのがあるんですね、やっぱり3気筒のナナハンやないとあかん、というフシダラなやつがおりまして、ここでですね、皆様方のほうからやっぱり500がマッハや

H2はしょせんH2やという言葉をお聞きしたいなと。もし、H2のほうがスゴイなってことになれば、我々は意気消沈してこの場を去ることでしょう。

清原
ぼくもね、マッハIIIとマッハIVね、なんかね、ちょっとこんがらがってるんです。A1,A7,H1,H2,Z1,Z2とやってきましたからね、その時でしたらね、何が何やら判らへん、3気筒やったら同じやないけ、思てね、KHとかはね、あまりテストはしなかったですけどね・・・・、心得ておきます、マッハは500やと。

パチパチパチパチ・・・

なかなか30年前の車で、まして緊張感のある車ですので、まあ、焼き付きと、バブリングですね、当時はね、ベストなマシンだったんですけども、最近の車と比較されたらね、やっぱり雲泥の差がありますし、その辺だけ気を付けて楽しく大事に乗って事故のないようにね、乗ってください。乗り続けてください。

カワサキ(技術 北尾)
マッハは500!!がんばって下さい。

カワサキ(技術 黒川)
右に同感です! マッハは500!!

パチパチパチパチ・・・

カワサキ(司会 小林)
じゃ、どうもありがとうございました。

参加者
どうもありがとうございました。

 


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