TS125・事の顛末放浪記

 

by つ

 

TS125!
言わずと知れたハスラー125である。

 
現在、片道25キロの通勤に大活躍中!旧型の原2とはいえその実力は侮られず、電車で1時間・車だと平日1時間半から2時間かかる道のりをわずか30数分で結ぶ。
驚くほど軽い車体・コンパクトな車格によりすり抜けも容易、昔のオフ車は足だってベッタリ、汚れたって濡れたってコカシたって平気、お気軽度100パーセントなのである。さらに特筆すべき点、全開度も100パーセントである。空冷2ストロークピストンリードバルブ単気筒、これで街中はストレスなく全開を楽しめる。低速域こそもたつくものの、5000回転を超えるあたりから、パンチ力を伴いつつスムーズさを増し2次的に加速していく。
「オー!ファンタスティク!!」
これぞ2ストロークの醍醐味。決して絶対的なスピードが出ているわけではない。引っ張られたゴムがはじかれたような加速感・不規則な不協和音から連続した一体音への変化・それなりに出る振動・これらが混然一体となってあくまで体感的なスピード感を演出し、精神を非日常的な虚空の彼方へといざなうのである。そう、これほどまでもタイソーな乗り物・それがハスラー125なのである。
(大自己満足!!)


「もっていけやー、やるよ!」バイク屋「ライドオン」大将の言葉、早速ウイスキーを1本さげてウチへとやってきた、出会いとはこんなもの1992年12月のことである。
しばらく乗られることもなく屋外放置、ガソリンタンク上左右ヘコミあり、シート破れあり、エンジン回るものの今ひとつ。これぐらいの程度の旧型不人気原2であればタダとはいかないまでも格安で入手可能ではなかろうか。とりあえずキャブ・エアークリーナーの掃除、ポイントの調整、これだけでそこそこの調子を得る。70年代までのオートバイは教科書通りともいえる単純な構造によりシロートさんでも手を出しやすい。増してや元手がかかっていないのだからどんなことにでも挑戦してみたくなる。「壊したっていいさ、やってみよう」という気安さ、これも大いなる美点である。タイヤ交換、フロントフォークオイルシール&オイル交換…と徐々に元気を取り戻し、和歌山の林道なぞ走りに行くまで回復した。

調子に乗って街乗りゲッターとして大活躍中、第一の悲劇がやってきた。
「ガキッッッツ!  ガラガラガラ  ゴロッ  ゴロ ・・ ・ 」エンジンストップ。焼き付きである。恥ずかしいことにオイルタンクは空だった。最も初歩的なミスを犯した自戒を込め、自宅まで2時間押して歩く。早速シリンダーヘッドをめくって驚いた。ピストンリングがバラバラになって出てきたのである。破片を慎重に取り出しシリンダーを抜いてみると、トップリングの一部がピストン上部を突き破り融着していた。取り出した破片の断面を見ながらパズルよろしく並べてみても円にならない。クランクケースもダメか?待てよ・・、残りの破片はマフラーから出てきた。圧力の当然の摂理である。クランクはスムーズに回る、コンロッドにも大きな振れはない。どうやら腰上修理だけで何とかなりそうだ。シリンダーの内壁を見ると浅いキズ、コンマ5オーバーのピストン・リング・ピストンピン・クリップ・ピストンニードルドルローラーベアリング・ガスケットを注文。

届いたピストンを添えてボーリング屋さんにシリンダーを持ち込む。作業は半日で終了。
2ストオイルをたっぷり塗って再度組み立てる。キック数発、エンジンはあっけなく再始動した。
気になっていたリング音も消え益々調子を上げるハスラー、今度はデコボコだらけのタンクの修理に挑戦。溶接機などないので、ヘコんだところを引き出すことは不可能と判断。
総剥離した後、盛り上がったところを叩いてならしパテにて対処する。ところが、これが難しい。盛っては削りまた盛って、いつまでたっても面など出やしない。しまいにどうしていいかわからなくなる。適当なところでごまかして、缶スプレーにて塗りに入るが、これまた不本意な結果に終わる。遠くから眺めてみる。『前よりイイじゃん』これでイイのだ。自分でやってみること、ここに意義があるのだ。しょせんオイラは街乗りゲッター、細かいことは気にせずに通勤に遊びに距離を伸ばす。



ある時職場の仲間とモトクロスコース・プラザ坂下を走ることに、この日はどうも朝からエンジンの調子が悪かった。上まできれいに伸びない。ストレスを感じつつも、構わず酷使、サスは底づき、何度か転倒。休憩中、ふと見ると左の靴にオイルがべっとり、エンジン観察、マフラーとシリンダーをつなぐボルトが一本ない。もう一本も緩んでいるようだ。排気漏れによるエンジン不調か。仕方がないので近所のホームセンターでボルトを買い、締め込む。これが第二の悲劇を生むこととなる。
その後もオイル漏れは止まらない、エンジンの調子も上がらない。帰宅後、再度ボルトを緩めようとしたところ、びくともしない。ネジ山に砂が噛んでいるのである。フッと力を入れた瞬間、アノいやーな感触と共にボルトが折れた。しかしこれには困った。シリンダー側に噛み込んで残ったボルトの先がどうやっても抜けない。最終手段ドリルでネジをもんでしまえ。ボルトは鉄、シリンダーはアルミ、ドリルの先は固い鉄の上を滑り、柔らかなアルミへと進んでいく。シリンダー側の雌ネジは、折れたボルトを残しズタズタとなった。思えば当然の帰結、悲劇は決定的となった。左側の靴を激しく汚し、調子もいまいちとなったハスラーはガレージの隅へと追いやられ、その後再び冬眠生活に入る。1994年10月のことである。


2年ほど経過した後であろうか、いつものように雑誌の売買欄をパラパラめくっていて、ふと目が止まる。「ハスラー125差し上げます」これだっ!すぐに電話をしてみると、当方のオートバイを買ってくれた方にオマケで差し上げます、そうでなければ1万円とのこと。ホンダC200、C IV92、ヤマハFX50があるという。しかもお買い上げ+ハスラーであれば、自宅まで運んでくれるという。ウーン、運送費までも浮くか、悩んだ末我が家のガレージに新たに3台の仲間が加わった。ハスラー125(部品取りオマケ)、CIV 92(美車不動)、CIV 92(部品取りオマケ)、しめて8万円。この他にもホンダCB93・CD125K3を所蔵する我がガレージは、まさに原2パラダイスの様相を呈してきた。ひょっとして原2パラノイア?



CIV 92の実動計画が優先されて依然ほったらかしにされていたハスラーであるが、しばらくしてまた林道が恋しくなり、部品取りのエンジンを降ろしてみる。車体はサビだらけ、保安部品はすでになく、タンクもシートもグズグズで穴だらけ、使い物にならない。
ところがエンジン、塗装は剥がれ土とホコリにまみれ見た目はひどいが、キックは降りるし圧縮もある。どうせ欲しいのはシリンダーだけと、気楽にバラし始める。エンジン内部の状態は非常に良い。こうなったら欲が出る。


腰下も含めたエンジンフルオーバーホールに挑戦。慎重に腰下をバラしていく。修理を前提とした腰下の分解は始めてである。雑誌やマニュアルで繰り広げられている光景が目前で再現される。
クランクとミッションの連結の仕組み、シフトドラムによる変速の構造と動作、キックやオイルポンプへの伝達、自分の手で触ってみてこそわかる世界がここにある。「なるほど、良く出来ている」、感心している場合ではない。細かな配置を記録しながら、はずした部品を使えるかチェックし分別する。
 
オーバーサイズピストン等腰上消耗部品一式・クランクベアリング&オイルシール・ミッションベアリング・オイルシール&ガスケットなど消耗部品を注文。ベアリングを打ち換え、オイルシールを交換。クランクのバランス取りとクランク軸圧入ベアリングの交換そしてシリンダーボーリングはプロに依頼、当然手出しの出来ない世界もある。
 
慣れない手つきでクランク・ミッション・キック等を組み直し、左右ケースを合わせる。キックスプリング組み付け不良、再度分解、合いマークポンチを発見、構造理解の上組み直し左右ケースを合わせる。今度はミッションのシムが残っていた、再再度分解、とこんな調子で行ったり来たり。だがひとつひとつの確認作業が更に理解を深めていった。

そして完成。確かな手応え、心地良い満足感。

実はこのエンジンのオーバーホールも1年ぐらいかけた気ままな作業だった。平行して車体の側にも着々と手が入っていた。
 
なかでも懸案のタンクの修復は困難を極めた。塗装とパテ盛りの失敗をやり直そうと再び総剥離してみたところ、左側下部に穴発見、よく見ると他にも黒い点々がたくさんある。この点を千枚通しで突いてみると次から次に穴が空いていった。ピンホールから米粒大、その数なんと20以上。またしても苦悩と憂鬱に襲われる。タンク左側下部のみに穴が集中しているということは、水が混入したまま放置され、サイドスタンド側の左だけを侵食していったのであろう。
 
一度は諦め中古を探す。解体屋さんを巡り、中古パーツ屋さんに問い合わせる。「ない。」エンジンの修理も着々と進んでいる頃だった。こうなったら後には引けぬ。

 


『修理だ!』まずスチール缶を小さく切り大きな穴にあてがい周りをハンダで埋めていく。小さな穴は直接ハンダで埋める。一通りハンダを盛り終えると、スクレッパーで擦ってみる。融着の弱いところはあっさり剥がれる。ペーパーをあて再度脱脂を十分にしてもう一度。

穴埋めを終えると今度は内部のサビ処理に移る。
今回はコストを重視しサンポール作戦を決行。サンポール2本(400円くらい)を注入、ぬるま湯2リットル注入、一晩放置(時々攪拌)、サビ色に変わった液体を捨て良く水洗い。完全にとはいかないが大体サビは落ちているようだ。気になっていた穴埋め部の漏れもない。水分を残さないようドライヤーを使ってしつこく乾燥し、ポリエステル樹脂(FRP樹脂)を200tほど注入し内部コーティング、これにはサビ穴対策の意味合いもある。
 
ようやくパテ盛り作業に入る。今回はハンダを盛った部分も隠していかねばならないが、貴重なプロのアドバイスも得た。厚く付けず広範囲に一気に盛る・当て木を添えて削っては盛りを繰り返す・少しずつデコボコが面へと変化する・根気強く完成イメージを描いているとだんだん目指す世界が見えてくる。ついに満足いく結果を得る。塗装はコンプレッサーとガンを新たに所有していたので、ウレタン塗装にて仕上げる。
 
ここで1点失敗する。サフェーサーに安物のラッカースプレーを使ったら、乾燥が不充分であったらしく1箇所チジミ発生。乾燥後ペーパーを当てるが、下地とサフェーサーの間に段差が出来る。安物は密着度が低いらしくペーパーが効かないのだ。無理にこするとサフェーサーの膜がシールのように剥がれてくる。これは出来るだけ目立たないように境目の段差をプレスラインまで持っていくしかなかったが、やはり消すことは出来なかった。
 
ウレタンの上塗りを幾重にも重ね、外装は生まれ変わった。デコボコも見事に修復されている。サフェーサーの段差だけは悔やまれるが、仕方がない、ステッカーを貼ってごまかす。
 

 
1998年5月、エンジンを積み替えられ、お化粧直しも終わったハスラーに火が入る日がやってきた。もちろんキャブの掃除や点火時期の調整も万全だ。フルオーバーホールされたエンジンに敬意を払い燃料は混合ガソリンにする。エアーを噛んだオイルポンプが正常に働くまでの経過処置だ。このときばかりは緊張した。始めて自分の手でバラバラにして組みなおしたエンジンが回るのか、不安いっぱいだった。燃料コックON、チョークON、イグニッションスイッチON・・  Kick!
 
エンジンは再び鼓動を開始した。アイドリング安定、これまでにない鋭い吹け上がり、より伸びのある高回転域、何よりも以前より乗りやすく気持ちよく走ることができる。これこそ調子の出たエンジンの指針。シテやったり、達成感に包まれる。

 

車体の隅々にまで手の入ったハスラーは今日も元気に大阪の街を走っている。 

 

 

おわり