CB90復旧日記・その7
 
最終回

 

7月12日

 


南海部品にメインジェットを買いにいく。
 
元々のジェットは92番なので それを見本に持っていくことにする。 ケイヒンのキャブは モンキーいじりの頃はむしろミクニに押され気味であったので あまり部品のストックがないのではないかと思った がそれは全くの見当違いであった。
今ではFCRがヒットしたのでケイヒンの方が人気が高いらしい。 一商品の企業にもたらす力は想像を超えるものなのだ。 メインジェットは 何の心配もなく見つかった。 しかもオシャレなケースに入っている。

 
 

キタコのブランドつきメインジェット。
 
たぶん ケイヒンから山ほど買ってケースに入れてぼろ儲けなんだろうなあ なんて薄汚れてしまったオッサンには思えてしまう。
でもキタコや武川なんかが今だに元気なのは たまたま街で会った高校の同級生が元気で楽しくやっていたみたいで なんとなく嬉しい。

 
ストックが92なので 95と98を買う。
お店のお兄ちゃんに「マシンはNSRっすか? バリバリっすねえ。」と声をかけられる。
いや CB90って…と小声で答えると「ベンリーっすね!しぶいっすよ。」と間髪入れずに答えられた。 いい奴だ。 とほほ…。

 

7月13日

 
早速 メインジェット98を付ける。 原付はいいよなあキャブ触りやすくて とつくづく思う。 アイドリングは変わらない筈だと思いつつ 一応調整した。
 
さて試乗に出る。
全体に吹け上がりが重く 下り坂でアクセルを戻すとボンボンとマフラーの中でこもった音がする。 燃えきらなかったガスが燃焼しているのだろう。 しかし 数キロ走ってみても熱だれ風の症状が出ない、しかもアイドリングはかなり安定し スロットバルブの急激な開放でもストールし難くなっている! 吹け上がりは遅いが ギクシャクした感じはかなりマシである気がした。
 
これらから考えると 今までの症状は混合気が薄かったことによるものかと今更ながら感じた。 しかしメインジェットがアイドリングに関与するのかと考えると マユツバだなあ。
アイドリングとは ニードルジェットにニードルが深々と刺さっており スロットルバルブが閉じた状態なので、パイロットジェットが関与し メインはあんまり関係ないのじゃあないか などと思ってしまう。
全ては気のせいじゃあないかとも思ってしまう。

 

7月15日

 
メインジェットを95にしてみることにした。 やはり98では濃すぎる気がする。
しかしプラグの焼けだけをみると 決して濃すぎるわけではなかったが。 メインジェット95で かなり良い感じになった。 マユツバだと感じつつ アイドリングは絶対に安定している。 メインジェットは スロットルバルブ全閉時にも関与しているのだろうか? 全開走行時の中高回転のつながりは かなり良くなった。 98よりも軽くふけあがるが ストックよりもギクシャクしない。
この辺がいいところだなあという感じが濃厚である。 しかしHX90のような 瞬発力は残念ながら 無い。 所詮は4ストである。 しかし 常にぶん回して乗らなければ走らないところは 当時のスポーツ車である片鱗を見た気がする。 当然 全開走行の後のアイドリングも安定している。
全ては混合気が薄かったという結論でいいのだろうか。


 

7月27日

 
エンジン関係は かなり納得のいくものに仕上がってきた気がする。 交差点での空ぶかしも しなくてもストールし難い。
 
夏真っ盛りなので車体の錆を落してやろう。
シート裏のフェンダーの錆や タンク下フレームにも手を入れてやる。 CRCをドボ漬けにして錆をボンスターで磨き倒した。 20代の頃なら タイヤや フロント回りを外してやったかもしれないが いつの頃からかそこまでできなくなっている。 あの頃の自分にがっかりされる生き方をしたくないと思うが そんな今の自分は鼻で笑われて終いかもしれない。 ちょっとは見映えが良くなったかとも思われるが 少しくたびれた感じは抜けることはない。
「まあまあ こんなところでいいだろう」と20代の自分に赦しを乞うことにした。 その代わり 当時は知らなかった高級カルナバワックスでタンクを仕上げてやろう。 しかも二度仕上げで。
こんな小手先の見映えの出し方は上手くなったよなあ。

 

 

7月29日

 
このところイライラすることが多い。 直進中に無理な右折でブレーキをかけさせられたり 赤でもひたすら直進する車が多かったりして ついホーンボタンを探してしまう。 CBのホーンは調子が悪く 弱々しくプ〜と鳴るだけだ。 しかし苛立ちの対象がクルマに対してではないことも知っている。 何もできないうちに夏を見送りつつある自分に対して苛立っているのである。
夏は明らかにピークにある。 しかしこれから先は弱っていく一方だろう。  


息子のプールを買いにいったついでに 最高のホーンをトイザラスで見つけた。
 
世間に対する苛立ちも 自分に対するイライラもこいつで笑い飛ばしてやり過ごそう。

(補足 by H : ちなみにヤマハ IT175 オーストラリア仕様はパフパフって握って鳴らすラッパホーンが純正でしたよ〜)
 



 

8月6日


スタンドの立ちが強く ハンドルを右に切ると倒れてしまうので前々から何とかしようと思ってきた。 モンキーのスタンドがあったので 取り替えてみたが 短かすぎて左に倒れてしまう。 仕方がないのでフレームのスタンドのステー部分をモンキーレンチで挟んで インナーチューブで無理矢理曲げてみた。 これでバッチリになった!
ライドオンの大将はこんなことが異様に上手い。 昔 ハンドルを絞ったりしていたので慣れているのだろう?と訊くと嫌な顔をされた。

 

8月15日



原2ツーリングが大雨で中止になった。
 
この日のために整備したラビットスクーターが泣いている。 仕方なくクルマで琵琶湖へ向かった。 家を出る時は小降りになっていたので 原2を決行するべきだったかと一瞬後悔したが すぐに英断だったと理解できた。 琵琶湖は大雨だったのだ。 まるで夏の断末魔のように雨が降り続いた。
喫茶ジローの写真を撮って帰ることにする。

 

8月23日



 


 
ヘッドライトのオンオフスイッチのノブが元々欠損していた。

 

 
このスイッチが案外と硬いので そのうちにグローブに穴が開くのではないかと心配になってきた。
重野のオッちゃんになんかいいスイッチないかと訊ねたが 残念ながら見つからなかった。 やむなくH2のジャンクスイッチから取って付けたろかいなと思ったが もったいないので止めた。
 
代わりにエポキシパテで作ってやることにする。
ネンド細工でちょちょいのちょいとやってみた。 気分はノッポさんだ。でっきるかな でっきるっかな はってはってふむ〜と唄ってしまう。 
 


 
適当なネジで留めてできあがり。 う〜ん いいかんじ〜。


 


 

CB90復旧日記エピローグ

 


平成11年 11月13日


CB90は このところ何ら手を加えることなく 好調そのものである。
もはや熱ダレに悩まされることもなく 煽りながら信号待ちをすることも忘れつつあった。 しかしこ
れは気温が下がってきたことによる ありきたりの現象かもしれない。 プラグもくすぶりがちなので 一番落してみるか。


昼間はまだ暖かいが 夕方になるにつれ 乾燥した木枯らしが吹き 街並みを寒々とした色に変えていく。 寄り道は一切しない模範亭主が 外食したくなるのはこんな日かもしれない。
無性に 煮込みや風呂吹き大根の類が恋しくなった。 断りきれない誘いがあって 夕食はいらないと電話をする。 CB90は今夜はバイト先の駐輪場で一泊してもらう。 どちらも胸が痛む。 せめても と念入りにキーロックをするが本当に盗む目的の連中には 屁の突っ張りにもならないだろう。
 
タクシーで環状線の駅に向かい 切符を買ってホームへ上がる。 ホームには紅葉や秋の味覚を謳ったポスターが多数見られたので それだけで充分の行楽気分を味わうことができた。 環状線から網目のような地下鉄を乗り継ぎ 競艇場のある駅で降りた。
最後に来たのは3年 いや4年前か。 駅前には真新しいゲーム屋と携帯電話屋が軒を連ねていた。 見覚えのあるコンビニの角を曲がった。
おふくろの味「ひし美」はかつての姿のままそこにあった。 盛り塩をしてある引き戸をひいて 軽い興奮を抑えつつ暖簾をくぐる。


 
「あら シロさん お久しぶり。」

と おかみさんは笑って迎えてくれた。
街の風景は変われども 店の中は なにもかもが かつてのままであった。 嬉しくて泣けてきそうだ。
 
お店を独りで切り盛りしているのは 通称アンヌさんだ。 初めてカウンターに座った日にも いつか昔 どこかで会ったことのある人だなあと感じていた。 地酒の数が多いのと 何よりも肴のうまさに惹かれ 毎晩のように通いつめた。 日本酒はここで覚えたといっても過言でない。 呑んべえには宝物のような店である。
そのうちに常連衆とも 話しながら呑むことになる。 そこで気がついた。 アンヌさんは あの!アンヌさんだったのだ。 確かに皺は増えて トウは立っているが ぱっちりとした目と 今でも十分な色気のある口元をみると なるほどと納得してしまった。 アップでまとめた髪と 割烹着が板についている。
「オカアサン」「ママサン」 と呼ぶ一見さんと アンヌさんと呼べる常連さんの間には 天と地ほどの隔たりがあった気がしたので 常連側に回りたいと いつも思っていた。  
それだけに 「アンヌさん ガンモドキ一つね。」 と自然を装って声をかけた時の緊張感を 忘れることができない。
 
健康そうに笑う表情は 「あの頃」そのものだったが、

「よく考えてみろよ そんな訳ないやないか。 もう30年も前の番組やで。 歳が全然合わんやないか。」
 
とも 同世代の常連の さんちゃんは言った。
そんな周囲の噂には当の本人は全く否定も肯定もしたことがないのだ。 それどころか 気にも留めていないようにも見える。 その番組の後には ロマンポルノにも出演したことがあったらしいが 色々とあった後に大阪の片隅で居酒屋をしているのだろうか などとつい邪推してしまう。



今日のお通しはイワシのマリネ風である。 それでは、
 
「京都の松本 下さい。」
 
と のっけからお酒だ。
冷えたグラスは冷えたお酒をなみなみと湛えて 透明な汗をかいている。 なんたる幸せ!
 
「今日はおでんがいい味でてるワ。」 とアンヌさんは笑う。あっという間に食前酒は終了。
 
「今度は真澄 入れてください。」
 
二杯目は凛とした呑み口のものを選ぶ。 最高!!アルコール分が滑らかに ゆっくりと回りだす。 店内にはボリュームを抑えたジャズが流れる。 演歌では落ち着いて呑めないからと アンヌさんは言う。
同感だ! 酢牡蛎をオーダーする。

「牡蛎はね 開きたての貝殻に直接レモン汁だけを絞って直接いただくのが一番よ。開きにくい殻ほど味は深いわ。」
 
殻から剥がして 直接啜るように 流し込む。 なんと豊かな味わい。 思わずもう一つとねだったが 牡蠣は強すぎるので 一日一個にしておきなさいと言われた。 残念。

 
 



アンヌさんには切り出せない話しが一つあったが もうそろそろ時効だろうと思う。思いもかけず その話しに持っていくきっかけを得た。

「HPみたわ。 今でも単車乗ってるのね。 単車 赦してくれる奥さんで良かったわ。」

なんだ 全部お見通しではないか。
船中八策を注いでもらいながら とうとう切り出した。 船中八策はしっかりした味わいで 三杯目にはちょうどよい。

「山田さんはいい娘やったけど 単車がね ちょっとね…。」

もう5年も6年もなろうか…。
アンヌさんのお茶の先生に女の子を紹介してもらったことがあったのだ。 毎晩毎晩呑みに来る独身男を アンヌさんが気にかけてくれたのだった。
歳はひとつ上だったが 長身のなかなかに良くできた娘だった。 なによりも自分に気に入られようと懸命なところもいじらしく感じられた。 しかしそのまま付き合いを深めるには 大きな問題があった。
典型的な単車アレルギーだったのだ。

「山田さん 元気でやっているかな。」

男のエゴを小声で絞り出した。
BGMのコルトレーンに紛れて 聞き取れなくても良かったのに アンヌさんは聞き逃さなかった いや 逃してはくれなかった。

「さあ あれからお茶にも来なくなったって…。」
 
湯豆腐の湯気の向こうから 痛烈な反撃を食らった。 直径1ミリぐらいの焼き針で心臓を射られた気分だ。
 
「あっちちち!」 と湯豆腐の熱さで誤魔化した。


「それから あのHPの記事。 原付の修理日記あったでしょう? どうしてあんなもん書いてるの?」
 
今や ぐわんぐわんと回転を始めた酔いに 酔鯨で加速をつける。 四国の旨い酒だ。
DEEE〜P!のURLは暑中見舞いにでも書いてあったのだろう。 今ではカミさんが書いてくれるようになったので 出したことすら忘れていた。
 
「せっかくゼロの単車を いっぱしの走る日常の道具に仕上げるのだから その過程を文章化して残してみたかった。 ド素人でもここまでできるんですよ と伝えたかった。 フルレストアなんて言葉が 商売人の口上に成り下がった今 実用性のある一台に仕上げようと思えば 自分自身でも こんなことぐらいはしましょう、バイク屋は所詮そんな程度ですが こんな風に上手くつきあいましょうねみたいな…。 まあなんか
のヒントにして下さいね なんて思った。」

「うそつき。」 と おでんを見繕いながら アンヌさんは笑ってくれた。
 
「あ ジャガイモは入れないで。 今日はもう誰もこんやろ? じゃあ 蛸 全部貰うわ。」
 
最後の一杯は久保田の千寿であっさりと締める。 もはや呂律の回りにくい口で ああとうとう言ってしまった…。 まるであの時のダンのように!
 
「あの最終回 見終わった後 窓開けて夜空を見上げてしまいましたよ。 あ〜帰っていったんかな〜って。」


アンヌさんは 謎を秘めた微笑をうっすらと浮かべた。

 

CB90復旧日記 完