ホンダの2スト3気筒

 
第二話

 

ジローは 内心穏やかではなかった。 焦りは 苛立ちを呼ぶが 苛立ちも重なると 諦めに変わるものだ。 しかし 刻々と時だけは過ぎていく。 無論 彼なりに努力はしているのだが 一向に閃くものがないのだ。 往々にして 探している時には 見つからないものかもしれない などと うそぶいてみても 誤魔化しきれなかった。 ギターは鋭敏にそんな焦燥感を 映し出していた。

 

ジローは 歌声喫茶「道草」でリハーサルの最中だった。

 

 
渡辺香津美の80年代の名曲は 心の迷宮の奥へと続くようである。 一曲 指慣らしのつもりで始めて ついつい熱が入ってしまった。 弾き終わると 誰もいない筈の客席から拍手が上がった。
お店のマスターの小川敬一さんである。 彼は 近くの音大を 都合7年かけて卒業したが居心地がいいので 卒業後も大学近くに居付いてしまったと苦笑したことがあった。
 
しかし 彼の奥さんである冬美さんは 就職がなかったところに 前のママさんから店を継いで欲しいといわれ 渡りに船だっただけよ と笑う。 
 
「ジローさんにしては珍しく ミスタッチが出たな。 ギターを背負っての流しも 500SSでは 走り難いだろう。 邪魔になってしょうがなさそうだ。」

…実利派なんですよ と答えかけて やめた。

「そうそう ジローさんを訪ねて来た人がいたよ。 なんでも 単車を紹介してくれるらしいね。」
 
そう言って 一枚のポラロイド写真をダンガリーのウエスタンシャツから引き出した。

 


 ホンダMVX250F

 

MVXは言わずと知れた2ストローク水冷三気筒、リードバルブ装着の 80年代のホンダの意欲(異色?)作だ。 前二気筒 後ろ一気筒でV型(とあるがL型だよなあ)という異色レイアウトである。
フォルムは 初代VT250やVF400とビキニカウルが共通であったりして そっくりである。 (MVXはさておきVTは あれだけヒットしたのに 一体どこへいったのでしょうね。 全てスクラップか。 ナマンダブ〜。) 焼き付き対策で オイルが濃い目であるのは マッハ系も同じであるが マフラーヘドロが後続車に直撃するので 発売直後から マフラーの開口部につける通称「笛」が無料で配布された。
とにかく 当時 ホンダSFに立ち寄る毎に やれオイルポンプだ やれ左キャブのフロートだと対策交換してくれた単車だった。

ジローはポラロイドを眺めた。
ジローにしてみれば 一番目茶苦茶に単車に乗っていた頃の一台であり 思い入れが深い。 これにまた乗ることになれば ムカシの女と 焼けぼっくいに火が点いたパターンである。 あの頃の思い入れが深かった分 今再び乗ることが恐くもあった。

「ひとっ走りどうだ。」

マスターはウインクをする。 このオッサンのクサさには参ったするよなあ。

ジローは このMVXの前迄に 数台の試乗を試みた が 彼の理想のマシンは見つからなかった。 Z750TWINの次には 彼のマシンと同じ120度クランクのKZ1300を試したが そのトルクフルさの裏側の退屈さを感じてしまった。
次には カワサキの最速マシン ZZR1100Rを試したが 高速道路で 80キロで走っているつもりが 一発免停を貰ってしまい そのスピード感の欠如に恐怖した。
4サイクルマッハを謳う一台もあったが 謎のみを残して試乗を終えた。
 
試乗を重ねる毎に 焦りを覚え始めていたところで ムカシのあの「一台」にすがってしまいたい気分になっていたのだ。

 

MVXオーナーのながたさんは 赤いKAの脇から MVXを押し出してくれた。

「大阪のオークション会場で 売りきりで出てきたんですよ。 しかし 千人以上いる会場の誰も押さなかったので 千円!とスイッチを入れたら そのまま落ちちゃった。不憫でねえ。 調子バリバリいいのにねえ。」

と笑う。 チョークを引いてキックすると あっけなく始動した。 独特の排気音に聞き覚えがあり ああコレコレと 心が昂ぶる。 一速に踏み込んで クラッチを繋ぐ。

回転は5千ぐらいで繋ぎきると 弾かれたような加速をみせてくれる。 あっという間にレッドゾーンだ。 電気式タコメーターのためか レッドを超えても勢いよく針が踊る。 ビャーン ビャーンと あたかも2スト原付のように元気に吹けあがる!

 

ブレーキングをすると…そうだったそうだった!リアーがぜ〜んぜん効かん! フロントは 最近の単車のように効きすぎる感じがなくってちょうど良し! インボードディスクの分解の仕方が分からなくって 一日悩んだっけ。 リアーは あまりにも効かないんで ばらして シューをヤスリで削ったりしたなあ なんて思い出してしまう。 信貴スカでローリン野郎をしていた頃に イッキに帰ってしまえる気がする。

しかし ジローはむかしのままのジローではなかった。 ジローは 120度クランクに すでにどっぷり漬かってしまっていたのだ。

「こいつは三気筒あれども マフラーが三本出ているというだけに過ぎない。 カワサキの三気筒は A7の二気筒に一気筒加える発想で作られたもので フィーリングも三気筒そのもの。 しかし こいつはL型四気筒の後ろ二気筒をまとめて一気筒にしたそう、4ひく1の発想で出た三気筒なんだ…。」

CDIの「ギル」を聞きながら 空しくその場を去るジロー。 スレてしまった自分が彼を苦しめるのか それとも「ギル」によるものか 今では彼にも解らない。 果たして焼けぼっくいに火が点くこともなく 彼の求める一台はここにもなかった。

 

 

補足…

懐かしい当時の写真。 バリバリに乗っていた頃は 写真なんか撮る暇もなかったのかぜ〜んぜん写真がない。 殆ど転倒しているような写真が 俺サB級と掲載されたりしたので ローリング写真もウイリー写真も撮った筈やのになぁ。 掲載できなくて残念無念! それにしても ノーマルマフラーにはダイシンレーシングのステッカー…。 いわゆるステッカーチューンですな。

 

この頃のダイシンは RZの後方排気やら 三気筒やら KHの水冷ヘッドやら作っていて いつ遊びにいってもワクワクする工房だったなぁ。 今では デイトナとかとな〜んにも変わらない集合管やさんに成り下がってしまいましたが…。(不二夫社長スミマセン! でもあの頃のようにがんばってよ。) 

ともあれ 思い入れの深い1台には違いない。 一度は乗ってみて欲しいなあ。ホンダの かけがえのない名車なのだから…。

 

 

 

博士 ここにもベストマシンはなかったぜ…。

手負いのカワサキの機能停止まであと250日。

 

あと 日しかないのだ!!

 


 

第三話 :「西暦2000年の挑戦」につづく