西暦2000年の挑戦

 
第三話

 


ジローは ふと昔の出来事に気持ちを巡らせていた。
あろうことか 交差点に進入しウィンカーを点けながら 彼のマシンをバンクさせている最中である。 クラッチを繋ぐと 朝露の街はのろのろと起き出したが 6千回転に駆け上がる頃には すでに 追い縋ることを諦めるだろう…。 それにしても 昨日の客は いけなかった。


「ジローさんは いつからギター はじめたの?」
 
千円札を財布から出しながら 女の客は愛想のつもりで そう いったのだろう。三曲千円は 流し協会が定めた料金ではない。 しかし妥当な値段といえる。  
「千円」を受け取るプロセスも料金の一部だ。 そしてコミュニケーションの一部なのである。
しかし 今や流しのジローに アマチュアの頃の思い出は…。そうさ! どうせ俺は天国への階段野郎さ!!
 
ジローは 流れる景色が映りこむコンペシールドの内側で悪態を吐いた。
 
彼は ホテルカリフォルニアのイントロに憧れてギターに入った ごくごく典型的なギター野郎だったのだ。 しかし何故に「天国への階段野郎」なのだろうか?

 

 



ジローは 喫茶ボンの前にマシンを停めた。 未だ しめ飾りの掛ったドアを押して店に入ると コーヒーの湯気が出迎えた。


注:写真は本文と関係ありません



「アメリカンで モーニング付けて」と 声をかけた。

イコちゃんと呼ばれている女の子が ゆで卵とトーストの乗ったトレイを運んできた。 モーニングサービスは どこのサ店でも出される あの モーニングだ。
 ジローは なんの気無しに 星川スポーツと書かれた新聞をめくった。 ラグビーの試合や パリダカや まして芸能人のゴシップには興味がなく 目だけが追っていた。 今日の運勢などに目が止まるのは そんな時だろう。

 

…4月生まれ…昔の知り合いに思いがけず再会…ラベンダー…

北海道の夏の花じゃないか とトイレの戸を開けた。 一段高くなった上に 和式便器。 一歩前進 と張り紙がある。 外はいきなりブロック塀になっている小窓の横には 紫の芳香剤が置かれていた。
 
「もしや ラ…」
 
エステル有機の匂いがひどい。 ジローは 段に足をかけ 芳香剤に手を伸ばした…。

 

 


ジローは何やら 小ぶりな単車に乗って走っているようだ。
京阪のガードをくぐると守口グリーンの映画館の看板が見えた。 古ぼけた郵便局の前を通過する。 股の下で勇ましい音をたてているのは なんと!ヤマハミニトレールGT50、通称ミニトレである! もしや と思いつき 膝の下にチェンジペダルをみた!
 
「間違いない! あのミニトレだ! そして手には軍手 靴は うわ〜バッシュだ〜!!」
これはタイムスリップか まぼろしだろうが この際彼はその状況を楽しむことにした。
 
ミニバイクレースが流行していた当時 チェンジペダルの蹴り返しの部分をちょんぎって乗っていた。 蹴り返しはダサさの象徴だったのだ。 リアはカヤバのガスショックで固め タンクは当時も入手困難であった 黄色の輸出用ヤマハインターカラーのYZ80のものを奢り あてもなく実家の近所をうろついていたものだった。

 

う〜、
YZ80のトラタンクの写真がないです〜。

← 確かこんな感じやったはず・・。

 
ジローは 通っていた小学校の周囲をミニトレで流している と その光景で「今日」がなんの日かを思い出した!
 
「はじめてギターを買いに行った日 そしてアレを見た日だ!」
 
…そしてあの角を曲がると アレが通りかかる そのはずだ!


その前を見たこともない単車がゆったりと走っていた。
あれは何だろう・・。
後ろ姿 はBMWに似ているが排気音は水平対向のものではない連続音だ。
4ストのような低音だがパルスを聞き分けられない。
4気筒か?。
この音はどこかで聞いたことがあるが…そう あれは確か サバンナRXー3??

中学校の頃から単車の雑誌を読みあさり ○年○号の何ページの永井電子の広告には誤植があるとか ○号で売りに出ていたCB135は半年後には 他の雑誌でバラ売りされていて その同じオーナはベネリ750セイも売りに出している とか ホンダバイアルス125はK0は122ccだったが K1以降は124ccになった といった当時完璧な記憶を誇っていたハズのジローの脳内データベースにも目の前の単車は存在しない・・。
 
そうこうしているうちに謎のマシンは路地の角を曲がって行った。 その瞬間!車体の側面を見ることになり彼ははじめて理解できた。通常のエンジンのある場所にはズン胴の鉄の塊が、そしてその前端にはジェットエンジンのような開口部が!?

あれはハーキュレスだ!
こんな家の近所でハーキュレスのロータリーを見るなんて!!



ハーキュレス W2000


 

空冷ロータリー・シングルローター

 

W2000と言っても ゴリ押し営業にて独禁法で揚げられた某ソフトウェア会社のバグ満載OSのことではない。
 
独ザックス社との共同開発 単室容積294cc空冷ロータリーエンジンを搭載するバイクである。
後にはヤマハがヤンマーと共同開発したRZ201 少量のみヨーロッパ輸出されたスズキのRE5 、シトロエン4輪用のエンジンを流用したバンビーンのOCR1000 、そしてノートンのロータリーレーサーと各社がロータリーエンジンバイクを開発したが ハーキュレスW2000が 1974年に市販された世界最初の量産車であった。
W2000…このWはヴァンケル(Wankel)エンジンを意味し、数字は2000年という年号を表している。つまり西暦2000年の2輪車プロジェクトという意味合いで命名されたのである。

そうだ、何も2ストにこだわることはないんだ!空冷の官能的なフィールとエキサイティングな排気煙さえあれば!
ジローは ミニトレのアクセルをねじ切れんばかりに捻り ロータリーマシンを追った。 あろうことか そのオーナーは路肩に停めてジローを待っていた。



うひ〜、試乗させてください〜!!

 
 

エンジンの見えないカウル付きマシンを嫌うジローだが 確かにそこには彼の愛すべき空冷フィンのシリンダーはない。 強制空冷カバーに覆われているためだ。
しかしながら彼の目は そのエンジンらしき物体の前部の開口部に釘付けになった。 

こ これは…チャック イエーガー!!

一瞬 脳裏にあのスターファイターのジェットエンジンがフラッシュバックした!。

オオ〜!こんなんやったなぁ。 ヘンやけどこれはこれでジェットぽくってカッチョええんでは…。
見ただけで彼はまたしてもクラクラっとイッてしまいそうになった。
危うしジロー!今度で何度目だ!


25ps/6500rpm 最高速度140km
ファンを回転させる強制空冷方式
 
空車重量160kg 2サイクル用混合燃料使用
 
縦置きだがベベルギアにて動力方向を変換 通常のチェーン駆動


ジローは ミニトレを彼に預け W2000のサイドスタンドを外した。 取り回しはちょうど昔の350ぐらいの感じである。 はやる気持ちを抑えて 跨った。
スターター一発で エンジンは即座に眠りから飛び起きる。 不思議なアイドリング音だ。

アクセルを少しばかり開いてやると レスポンス良く回転が上がる。 アイドリング付近で ややゴトついていたエンジンは ひとたび回転をあげると スムーズに吹けあがる。

クラッチを握り 一速に踏み込むと グニュッと入った! 発進!
パロロロ〜っと 2ストでも4ストでもない独特のサウンドで飛び出した。 曲がりを持つマニホールドはかなり長いものであるが エンジンのレスポンスは良好で アクセルの開きに忠実に答えてくれる。 3000rpmより使用可能なパワー状態になり4000rpmにおいては実用的なパワーに達する。 いかなる回転数においても エンジンの振動は少なく 非常に滑らかに回ってくれる。
しかし 排気量が小さいためか トルクにパンチ力がない。
 
わずか数キロ走ったところで エキパイはすでに赤く焼けている。 たばこの火を点けることができそうだ。 4000rpm以上の回転数では冷却フィンからは カン高い笛のような吸気音が聞かれる。
強制空冷ファンによって 路上のゴミを吸い取ってしまうこのマシンを "バキューム・クリーナー"と皮肉ったらしい。

 

ジローは 短い時間であったが 「過去の2000年マシン」を楽しむことができて幸せであった。 しかし これを現代に戻っても よ〜維持していけないことは 重々感じていることだった。

 

ジローはこの日が はじめてフォークギターを手に入れた日だと忘れてはいなかった。
彼は ミニトレに跨って 寝屋川駅前のタイトー楽器店へ急いだ。 彼がこれまで使っていたのは 父親のクラシックギターだったのだ。 タイトー楽器には 彼が夢にまで見た ギブソン ハミングバードが置かれていた。 これから年々ヨレていくであろう新品のギターを持ち上げて 弾きはじめた いや 弾いてしまった…誰もがギターの試し弾きをしてしまう あの曲のイントロを!
 
とたんに近くの店員が 苦笑しながら張り紙を指差した。

 

「天国への階段 禁止」

  



 

ジローは 芳香剤の缶を持ったまま 気がついた。 どうやら便器でつまずいて転んだらしい。 アタマにでかいコブができている。 タイルの壁にぶつけたのだろう。 コブの痛みに耐えながら ジローはきのうの千円で お金を払い店を出た。

残念ながらハーキュレスW2000ロータリーは来る未来のマシンではなかった。遙か25年前に企画された過去の未来バイク、いやそれは2輪版道路清掃車であったのかもしれない。

 

博士 ここにもベストマシンはなかったぜ…。 ラベンダーの香りは 風に少しずつ薄れていった…。

 
 

手負いのカワサキの機能停止まであと200日。

 

あと 日しかないのだ!!

 


寸評
 
単なるつなぎであった感のある前作MVXに反省の意を込めて現在第四話鋭意執筆中のジロー氏が、H氏の自動書記による原案を元に大幅加筆・修正を加えたものが今回の作品である。

冒頭のミニトレに関する記述はH氏の体験談で実話である。そして当時、自宅の近所を徘徊中に実際にハーキュレスに遭遇した。文中のインプレ部分は当時の資料の記述をコラージュすることにより、より真実身のある良心的な作品には仕上がっているが、使用した画像と共にまたまた著作権に問題を残しっぱなしで見切り発車であることは否めない。
原作では、どうせ過去にもどるんやったら KA のパーツ注文したらよかった〜、という発展案と、機嫌良く走ってたらエンジンの冷却風吸入口から石が入ってガキッ!て壊れるというオチ案も存在したらしい。エンジン開けたら何じゃコリャ、ゴミだらけ〜!そしてジローの脳裏には当時の記事が・・。「口の悪いジャーナリストはこのマシンを"バキューム・クリーナー"と皮肉った・・。」・チョン!
W2000とは絶妙にタイムリーなネーミングであるが、はたして当サイト読者の中に当時のハーキュレスを知る世代が居るのかという疑問は残る。

当コーナーにおいて、くどくらいに繰り返される「天国への階段」というフレーズ、そして今回の伏線でもある「ラベンダー」と言う単語と共に各所にちりばめられたサブリミナルな要素に作者の時代背景が忍ばれる味わい深い自己満足な作品となっている。

 


 

 

第四話・「二役のヒーロー」につづく

 


  
追加(2000/11)

 
「ハーキュレス2000実写版」

 


 

 

読者の方から実際にハーキュレスW2000に試乗したぞ〜、との投稿がありました!
某さん、貴重な報告ありがとうございました。写真とインプレを掲載させていただきますね。

「面白そうだったのでわざわざ出かけていって売り主の所まで冷やかしにいった時にとって参りました。」
「エンジンは掛かりましたよ、何て言うのかな、シングルローターなんですが、音は普通のシングルではないですね、更に言えば掃除機のような音も残念ながらしないです。」


  

 

「でもファンの回るブーン、フゴーという音はします。
乗ると、完調では無かったのも有ると思いますが、スナッチが酷いです、そんな訳で一定の速度で低速流すのは苦手、アクセルを微妙に煽るなんてのも苦手、アクセルというよりも、スイッチみたいな感じでした。」


「因みに回転の乗りは2スト的ですね。フィールはおむすびが偉い勢いでブヮーンと回っているそんな感じがします、振動の質もモーターに偏心した重りをつけて回すようなそんな感じ。」


 

 

 


 

こんなんまだ現存してるんですね〜〜。