極光の頃・前編


店の窓からは正月明けの晴々とした空と淀川の堤防が見渡された。
久しぶりの晴れ空にもはや凧の姿はなく、それにしてもこの頃のお子たちは何をして遊んでいるのだろうかと不思議に感じられた。

正月の間は子供の出入りが激しかった店内もすでに元の静けさを取り戻していた。


「ちわ〜四星模型です〜」
 
ジロー模型店にも初荷がやってきた。 模型卸問屋の屑原さんだ。

「ジローさん、注文のものに加えてガンプラの新作を加えておきました〜。 また売ってやってください。」
 
「ガンプラもちょっと食傷気味だよ。 ナンボできが良くてもちょっと高いしねえ。 子供には手が出ないよ。」
 
「買っていくのはお父さん連中でしょ? まだまだ行けるって。 それからタミヤはピンバイスの新作とデザインナイフと〜…」
 
「タミヤも工具屋に鞍替えしたほうが良いんじゃないの? 工具ばっかりじゃなくってプラモだしてよねえ…」


「それからね そうそう ホントすみませんが まあ お付き合いのノルマだと思って こいつも置いてやってくださいませんかねえ…」

屑原さんは 苦笑しながら変形版の箱を取り出した。
書籍以上に規格が決まっていないので 模型の箱は大きさや形がまちまちだが とりわけ細長い いかにも陳列しにくそうな箱を取り出してきたのだ。

「うっ!こいつは!」
 



 

 

1972年1月
 

ジローは土曜が来るのが憂鬱で仕方がなかった。

その右手に下げた硯入れが正月の間に黴て悪臭を放っていたからだけではない。
「習字教室で書道の練習をすること」すべてが苦手であったのだ。 

ジローはその頃にはすでにかなりの悪筆であった。 
学校の通知簿がそのことを知らせたのと彼の父親が近所の習字教室に通うように命じたのはほぼ同時だった。 初段を取るまで辞めることならぬとの条件つきであった。 そしてまた憂鬱な土曜日がやってきた。 

「おばちゃん、練習用のん15枚と清書用3枚」
 
細長く狭い文房具屋で半紙を買い教室に持ちこむほうが少し安く上がるのだ。しかも通常必要とされる枚数より少なく買っていた…。 
何故に半紙代を浮かせているのか。 
プラモだ。 それはズバリ模型を買うためだったのだ!

練習は同じ半紙に何度も書きなおし一枚が真っ黒になるまで書きたくった。 それなりに自分でよさそうな気がしてきたら適当なところで師範に見てもらって清書をする。 その過程中 実はその日の懐具合と買えるプラモを天秤に掛けているのだ。 プラモのことを考えながら書道をするものだから上達するわけがなく後からはじめた子らにどんどん抜かれていった。 しかしジローは幸せだった。 なぜなら習字が終わったら模型屋に直行できるからだ。

五郎模型店は団地を抜けた先にあった。 
長屋式住居を改造して一階を店舗にしてあったので店の隅に台所があった。
店に入ると小さなたたきがありそこで泥をぬぐって上がらないとオッちゃんに叱られた。狭い店舗には壁はおろか天井まで模型で埋まっていた。ガラスケースにはおよそ想像もつかない高価な模型用エンジンやミニカーが(売り物なのだが)飾ってあった。

ジローはポケットの中の硬貨を 今一度勘定した。
「70円…」
やはり 一番安いコーナーか…
 


皆さんいらっしゃい ジロー模型へようこそ
 


今回はちょっと趣向を変えて子供の頃にお世話になった低価格プラモを紹介してみましょう。

模型屋の安もんコーナーは陳列棚にはなくこのように無造作にダンボール箱に突っ込んであることが多かったですね。箱も蓋式のものではなく通称キャラメル箱が多かったです。 
 
 

これはキャラメル箱の典型のクラウンの鉄人28号です。

これは皆さんも よ〜買ったでしょう?


イッコ50円だったと思います。これらは接着剤不要で組み立てられますがマグマ大使は角のパーツがすぐに取れるんで接着したものです。


 
このテのキットは畳の上のみならず店先の地面の上でも組まれておりました。現在のコンビニ前で繰り広げられているような情景がかつてのプラモ屋の店先で見られたものです。
 

これの笑えるところは、どちらも変な岩石風のベースがついていたことですね。 しかしベースに貼りつけると遊びにくいんで足の裏のポッチを爪きりで切ってしまったものです。

なぜかロケットのベルトと目は箱の裏を切りぬいて貼りましょうとインストに書いてありました。 「ボール紙をどないやってプラに貼るねん」と子供ながらに揚げ足をとったものです。

 
よほど金型を酷使したのか精度が低かったのかバリが出まくりです。
 
 

上の二つにあと一種類あったのがジャイアントロボでした。今回は出てこなかったのでゼンマイ歩行のロボとGR2を付け加えておきます。

50円キットは長らく再販されておりませんがこのゼンマイ歩行は時々再販されております。注意して探せば今でも買えると思います。

この箱は再販もので「草間大作君はキットに付いておりません」とガンプラの真似事をして便乗を狙ったのでしょうがイケてませんね。

このキットは主役のロボよりもGR2のほうが人気がありました。テレビ版よりも横山光輝の原作版に近い顔をしております。


このシリーズには赤影のアゴンもありましたが長らく再販されておりません。残念です。

当時は150円ぐらいでニットーの「歩くガメラ」よりも少し安かった気がします。

 

 
 



 
 
さて 当サイトの基本は単車ですので バイクプラモを出さなくてはならないでしょう。
完璧な絶版プラモで申し訳ありませんが 童友社のオートバイシリーズからバイク野郎になった人もいることでしょうから外す訳に行きませんでした。
童友社は 金型買取再販がメインの会社(といったら失礼かもしれませんが)なので またいつか再販されるかもしれません。
円筒形の独特の箱に入っているのが特徴でした。

 
 
かなりの種類があったようですが 当時のお子様にはホンダもヴェーエムベーも同じに映ったに違いありません。
これは某2001年ツーリングに登場したあの一台ではないか…
ホンダマニアもビックリの この出来…う〜ん マンダム♪
この塩ビのタイヤとセンタースタンドが なにもかも みな 懐かしい(沖田)…

 

 

 
 
 
さて 問題のヴェーエムベーをあけてみて驚き!
これはトライアンフやんけ〜!
おっとインストもトライアンフになっている…

 
 
 
どうやら これは箱と中身が間違っているのね…
シリーズ5番の箱に 中身15番を入れたのか…童友社の内職のおばちゃんも内容の区別がつかなくって 間違ったのだろうという微笑みネタでした〜

 



 

 
日東科学のガメラシリーズにお世話になった人も多いと思います。 
ニットーは写真の一番安いものが50円で「走るガメラ」が150円、そしてゼンマイ「歩くガメラ」が200円でした。 そうそう、ワニゴンやジャイガー等の四足歩行シリーズも200円でした。

写真の一番安いガメラはフリクションで走る岩山のベースが付いていたのですが 残念ながらこの再販では省略されています。

ニットーのガメラシリーズは箱絵に白黒写真をカラーコラージュした物を使っていてこれがすごく渋かったのが印象的でした。

 
ニットーは倒産しましたが 現在でも金型が流れた会社(童友社だったか?)から一番高かったリモコンモーターライズのガメラとガッパとギャオスが再販されております。 

おっと、ガッパなどというと ではギララは?との声が聞こえてきましたがあれはミドリ商会でした。 ミドリも倒産しましたがギララは10年ほど前に童友社から「ウルトラザウルス」とか言う名前で再販されておりました。

 

 

このバルゴンのスペックは かつて200円シリーズの箱のサイドに書かれていた煽り文句です。 尾っぽの力がそんなモンと誰が測ったのか?ツッコミをいれてあげましょう。

ニットーと言えば やはり 妖怪シリーズを浮かべる人も多いと思います。 50円シリーズは 狂骨(きょうこつ)と「一角」と「からかさ」と「油すまし」と「牛鬼」があったと記憶しております。 ボタンを押すと棺おけが開いて出てくる 狂骨が一番好きでした。 蛍光プラでできていましたし…
 

 

ニットーのガメラといえば「フトモモの焼き留め」を連想する人も多いでしょう。 
ゼンマイユニットの金具をプラ製のフトモモのパーツに固定するためにプラパーツをやきごてで溶かして留めたものです。

設計図には「ハンダか あつく熱したドライバーで焼きつぶします」と書いてありましたのでコンロで熱して近所の子の分までやっておりました。
マッハ号のゼンマイ基部やチョッパー(前から出る回転ノコ)の芯や バンダイのクワガタムシの角、戦車のキャタピラの接続も「やきごて式」でした。 
子供には危険な工程であったためジグラあたりではポリキャップで安全に固定するようになっていました。 

あまりにも沢山のやきごてをやりすぎたのでドライバーの先が潰れてしまい親父に叱られたことを覚えています。 そのドライバーは現在でもぶっ叩き用工具として使用しております。

100円ぐらい出せば 結構できのいいヒコーキプラモもありました。 これにはまった人も多かったに違いありません。 ウォーターラインシリーズも 安いものだけは買えたような気がします。

LSも倒産しましたが アリイが金型を引き継いで再販していたと思います。


ヒコーキは いくら注意して接着してもキャノピーが曇りました。内側にこもった溶剤がキャノピーを傷めたのでしょうか。

これらより安いものは模型屋よりも駄菓子屋にあり20円ぐらいで塩ビ製のゼロ戦とかがありました。

塩ビ製といえば やはり駄菓子屋のウルトラホーク1号はよく買いました。 さし込みで三機に分かれるところがナイスでしたね。 でもあれは模型と言い難いのでここでは割愛。

むかしは50円から100円で水物もありました。
さすがに自動浮沈はしませんが ゴム動力でお風呂の中で遊ぶことができました。 安くても気分は小沢さとるでした。

小沢さとると言えばロボダッチも彼です。

このコーバック号やタンデムは今でも時々再販しておりますので買うことができるような気がします。

バットマンボートやP1−0号も箱替えでしつこく再販されています。

 

 
逆にモーター潜水艦よりもゴム動力のほうが自宅の風呂には遊びやすかったものです。 悲しいかなこの頃には銭湯へ行く子供が減ってきた頃でした。
 

 

 


シウルスはイマイの便乗オリジナル怪獣でした。ガルバとバギラはミサイルのついた糸を引っ張ると糸巻きで走るというものでした。 バギラの羽が胴体にくっつきにくかったのを覚えています。 ネッシーは元々は「怪獣王子」のネッシーでしたが 晩年は東映の版権なしで売られておりました。 このラインナップ絵のブーメランを持った少年がその名残です。

イマイが出てきたら 出さなければならないのがTBシリーズでしょう。 TBシリーズほど 50円のキャラメル箱から ラジコンTB2号や 電動全自動基地まで ご予算で格差がバッチリついた模型はありませんでした。

一番安い50円モノは スプリングで発射するTBメカと それに搭乗するバージルやスコットの人形(この頃はフィギュアなどという洒落た単語はなかった)が付いていました。

写真のコンテナセットは ひとつ150円ぐらいで ちょい高ぐらいでした。 ファイヤーフライや磁力牽引車 アランのレーサーまで模型化されていました。 発狂するほど欲しかったけど五つともコンプリートすることや よもやこれに合わせた2号まで買うことは夢のまた夢でした。

なんといっても小松崎の箱絵がそそるよなあ…
箱を開けると ちょっと寂しいTBメカが入っています。
う〜ん ディテールが…とかそんな野暮を言ってはいけません。 

イマイはTBメカと心中する気持ちで再販と新作、改作を繰り返しています。 時々再販されていますので あの頃の仇を取るつもりで買ってみるのも一興です。 おひとついかが?

宮崎駿の傑作 未来少年コナンも なんと!模型化されておりました。 この3点にファルコを加えて4種類でシュリンクパックされて出ておりました。

当時の模型屋さんは心優しくて 4つの値段なら買えないお子様のために バラに解体して売ってくれておりました。 よって忍者キャプターは土忍、キャプテンハーロックはマゾーン高速空母 そして日本沈没は指令車みたいなバンばかりが売れ残って模型屋さんを困らせました。 まさしく「プラモ屋の心 子知らず」でした。

100円ヤマト以前のキャラもんは 開けてはならないのがルールです。 コナンシリーズでも このロボノイドが一番マトモです。 ほかの三点は見てはなりません。 タカラ製ハーロックの100円アルカディア号やコスモウルフときたら…

コナンシリーズは 時々イッコの箱に入ったりして再販されていますので 注意すれば今でも買うことができます。

100円ヤマトは 30前後の方なら嫌というほど組んだことがある筈です。 
 
初期のもののほうが「ええ?これが百円?」というほど内容が濃いです。 逆に最後のほうはヤマト本編と同じく手抜きが目立ちました。 コスモタイガーなどは複座式を模型化していて感激したものです。 いずれにせよバンダイのハードディテール化の尖兵であったのは確かです。

100円ヤマトは今でも販売されていますが 中国辺りで組んで色を塗ったものをクリアーケースに入れたものが1000円以上もして売られています。 100円にしてはサービス満点のキットでしたが 一説には 版権もとへのロイヤリティーが高すぎたので 値段を下げて嫌がらせをしていたとの噂までありました。

見知らぬ土地の模型屋に立ち寄った時 予感に反して何もめぼしいものがないがお店のおじさんがじーっと見つめている。 何も買わないで店を去るのは気まずいので ガミラスデストロイヤーや沖田艦を迷わずチョイス(ラジェンドラ号や惑星破壊ミサイルは損した気分になる)し 100円払って店を出る。 よって我が家には古代艦ばかりあるのだなあ。

さて 最後はガンプラです。 
 
ガンプラは300円で144分の1のロボットが手に入りましたが これまで100円のラインを守ってこられた安いプラモの価格は堰を切った様に300円に高騰したものでした。 しかもガンタンクや リックドムなどは同じ144でも5〜600円しました。 右下のフィギュアシリーズは100円だったので何度か買いました。 久々のキャラメル箱で 上の鉄人を思い出していたのは私だけでしょうか。 写真のようにロボットよりも戦艦(ホワイトベースはカッコ悪いので買わなかった)ばかり買ってしまったのはヤマトの流れか…

 
 


 

ジローは 時間が経つのを忘れて どの模型にするか品定めをした。 何度眺めていても70円以上のものが買えないのは分かっていた。 しかし模型の箱絵と設計図とランナー状態の模型を眺めてひたすら完成状態をイメージした。 そしてその至福の時間が永遠である事を祈った。 また手にした模型達とその日買って帰るであろう50円のゴム動力チーフテン戦車のギャップを埋める事ができないかとあれやこれや頭を巡らせた。

「棚から出した模型はそこの椅子の上に積んどいてや。 メチャメチャに積まれたら箱がつぶれる。」
苛立ちを裏に隠した声で店のオッチャンがジローの妄想を破った。 
ジローはこのオッチャンが苦手だった。 ジローなりに常に言葉遣いに気をつかい少しでも気に入られようと努力していたがこのオッチャンには通用しなかった。 時々学校の友達を五郎模型に誘ったりしたのは少しでも店の売上に貢献できればとの 彼なりの配慮だったのかもしれない。 しかし常に逆に悪意さえ感じられる応対を受けていた。
 
「設計図は一番下にもどして箱を閉じてや。」
 
「どうせ組めないんやから 開けてみても一緒やろ。」
 
「組むのん手伝うのは いつもウチで買ってくれている子のんだけや。」

オッチャンの謂れのないイヤミを耳にするたびにどこの模型屋もこんなにもオッチャンが怖いのだろうかと悲しくなった。 ジローはそのちょうど10年後には模型屋だけでなくバイク屋も怖いオッサンばかりだと気づく事になるのだった…

自分の小遣いが少なくて悲しい時とやさしいオバちゃんではなくてオッチャンが店番をしていて辛い時は「極光」を見上げてイマジネーションに逃げる事にしていた。 
 
いつでも「極光」は模型店の一番高いところから無表情にジローを見下ろしていた。 「極光」は その設計図を見ることはおろか触れることも叶わなかった。 
ジローは「極光」の側面の絵をだけ見上げて その到底手が届く事の無い価格とそれによってもたらされるであろうギミック(仕掛け)やアクションを想像して楽しむことにしていた…
 


 
少しずつ暴露されていく幼少ジローの模型への憧憬と深遠なるトラウマ! そして またしても恐ろしい模型屋のオッチャンと習字の先生が幼少ジローを襲う! あやうし幼少ジロー!そして謎の「極光」模型とは?